北海道地方にて 2013年06月09日
三船慰霊の碑
「慟哭の海に誓う」
道内を移動の道中、三船遭難
慰霊の碑を訪ねました。
日本がポツダム宣言を受諾し、降伏
した終戦の日から7日後、1945年8月
22日、北海道留萌沖の海上で樺太から
の引揚者を乗せた日本の引揚船3隻
(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)が
ソ連軍の潜水艦による攻撃を受け、
小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名
以上の尊い命が犠牲となりました。終戦日(ポツダム宣言受諾)以降、英軍や
米軍は即座に戦闘行為を停止しましたが、
8月9日に対日参戦したソ連軍は、これを
無視し、当時大日本帝国領だった樺太に
侵攻したのです。
ソ連軍の攻撃から避難するための引揚
船となった船のうち、小笠原丸は逓信省
(NTT)の海底ケーブル敷設船でした。
戦争は絶対に二度と起こしてはならない、
平和な社会を作ることに政治が果たす役割は
大きいはずだと自らに言い聞かせています。
終戦以降の8月20日、真岡においても、
ソ連の侵攻により、電話交換手の女性が
局内で集団自決した事件がありました。
私にとっては、NTTの大先輩にあたります。
最後まで「つなぐ」使命を果たさんとした
偉大な先輩に恥ずかしくないよう活動します。
(2枚目の写真の碑)
慟哭の海に誓う
一 夕日輝くこの海に
三船遭難誰思う 戦い終りし七日目に
故郷の夜明けさいま見て
喜び胸に秘めた時 激滔と共に我船は
海のもずくと沈み行く
ああこれが無謀な戦争か
二 母よ娘よ妹よ
叫べど返る声聞けず 焦れば焦る波間には
今見し我子見え隠れ
板子一枚命綱 沈みし船に巻かれずと
必死に泳げど覚束ず
戦の無残さ今ぞ知る
三 あの日数えて五十年
悲惨の感が今もなお 二度と返る事なかれ
穏やか海に祈るのは
安らか眠れと思うのみ 戦い興し無き誓い
この碑に向い今叫ぶ
無駄にぞしない君の死を
平和の世代の糧にする
平成七年八月十五日 作
平成十六年八月吉日建之
樺太引揚三船遭難遺族会