あれから10年-その4
あれから10年。
民主党は2012年12月執行の第46回総選挙で政権から転落した。もしかしたら、瓦解した結果、転落したという方が表現としてはふさわしいのかもしれない。
多くの同僚・先輩が10年経った今も、再びの議席に辿り着けないままだ。また、この10年間で、苦楽を共にした何人もの同僚・先輩が民主党から離れていった。そして、この間、その民主党自体もなくなってしまった。
民主党が政権を獲得した2009年8月執行の第45回総選挙の投開票日、私は祖母の通夜の後、政権交代の熱気に湧くテレビ画面を冷静に眺めていたことを今もときどき思い出す。
民意の結果の政権交代であるから、ありがたいことなのだが、過半数を大きく超え、衆議院だけで300以上の議席を有する所属議員数となることでガバナンスが効かなくなるのではないかと危惧したためである。
しばらくの間は良かったが、案の定そのような事態が生じ始め、各府省庁との関係性が困難を来しているような気配も一期生ながら強く感じていた。
そうやって、やがて迎えた10年前の12月。
そして、その約半年後が自身の2期目の選挙だった。
政治には振り子の原理が働くとも言われるが、そんなことはまったくなく、とにもかくにも過酷な選挙だった。40人近くいた当選同期の5人しか2期目に届かなかったのであるから当然だったのかもしれない。
その2期目の途中に民主党は民進党となったが、党名を変更することに最後まで反対した。
どんなに批判されても民主党に愛着があり、どこかの党と一緒になるために党名を変えるべきではないと思ったからだ。ただ、結果として、その民進党もなくなってしまった。
この10年、野党の多弱化も進むことになってしまったが、我が国には政権交代可能な勢力が必要だと信じてやまない。民主党はその政権時に、それまでの政権が避けて通り続けた社会保障と税の一体改革に取り組んだからだ。
確かに、党分裂の引き金を引く大きなひとつの要因ともなってしまったし、不人気に拍車をかけることになったかもしれない。また、参議院で過半数の議席を有していなかったがために軽減税率などを導入せざるを得ない結果になってしまったかもしれないが、それでも果敢に取り組んだ。
私は国政に議席を預かって現在16年目の就職氷河期世代であり、現役世代である。
今もまだ間違った前提で政策を打とうとしているが、我が国はとうに人口減少社会・超高齢社会に突入し、かつてのような右肩上がりの社会は望めないことを強く認識すべきである。
10年前の社会保障と税の一体改革特別委員会でも発言したが、「我が国における人口構成は大きく変容し、少子高齢化が一層進むこと、そして国の予算の約半分を赤字国債で賄う状況が続いているということに鑑みると、どの立場に立とうとも社会保障の持続性と財政の持続性に向けて取り組むということは避けては通れない道」だからこそ、失われた平成の30年を総括し、その上での政策転換こそが必要なのである。
本来であれば、この10年、安定して数を有し続けている最大政党こそが社会保障や税の在り方について逃げずに議論すべきであったにもかかわらず、残念ながらそれはなされてこなかった。
逃げない政治、課題に向き合う議論をしたいという思いは、やっぱり今も変わらない。だからこそ、動きたいとも思う。
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