吉川さおり 参議院議員(全国比例)

コラム

国葬儀における法解釈と検証のあり方-その3

2022年10月30日

9月8日の議院運営委員会における私の質問に対し、総理は「今後につなげるためにも検証を行って、その検証を今後の議論に資するよう努めていきたいと思っております。」と答弁しました。

9月27日に執り行われた国葬儀に関して、今後政府の方で検証が行われることと思いますので、その結果を静かに、しかしながら注意深く見ていくつもりです。

9月8日の質疑の冒頭と最後で、7月14日に総理会見で国葬儀の実施を表明してから、7月22日の閣議決定に至るまでの経緯も含めて記録に残すことの必要性も指摘し、これに対する総理の答弁でもあったためです。

なお、国葬儀について国会で検証することに関しては個人的にさまざまな思いを有しています。国葬儀の件で質疑に立った立場から、その考え方を少しだけ記しておきたいと思います。

私の質疑において、あえて官房長官に答弁いただきましたが、国葬儀は戦後過去1件(内閣・自民党合同葬は8件)で55年前とかなり古い例となります。

私は国葬儀の質疑にあたって、過去の国葬儀、内閣・自民党合同葬のそれぞれの記録にあたれるだけあたりましたが、今回の国葬儀に関して国会の側から検証することは非常に難しいのではないかと思っています。

今回の国葬儀に関する経緯を検証するにしても、国会が関与できたのは、それこそ9月8日の午後に行われた議院運営委員会での総理・官房長官の報告とこれに対する短い質疑だけでしかありません。

政府側にすべての資料が残っているはずですが、経緯も含めてその資料が要求どおり提出される保証が現在の行政権にないのではないかとの思いがどうしても先行してしまうのです。

ここ数年、内閣提出議案や資料に誤りがあっても、国会に対する報告も遅れがちで丁寧ともいえず、公文書改ざんや統計不正等においても思うように資料等が出てこないためです。

よって、まずは政府に検証させる(あえてこの表現としています)のが先ではないでしょうか。

また、有識者から意見聴取するとしても、国葬儀に関する件の有識者は限られています。これに関しても、論文や文献を調べるにあたって実感したことです。よって、政府と国会で有識者が重複するのではないかとの懸念が払しょくできませんし、仮にも両院別々に検証することとなれば、同じ方が3か所で同様の話をされるという事態も想定されなくはありません。

結果として国論を二分してしまった国葬儀について、国会で一致した見解が導き出せるのか。導き出せるとすれば、実施や基準の有無ではなく、国会における手続やプロセスを定めることではないかと思いますが、課題設定の段階において与野党で論点がかみ合わないのではないかとも思うのです。

さらに、誤解をおそれずに表現するとすれば、今、この段階で国会で検証しようとすることそのものが、国論を二分してしまった国葬儀を制度化する方に向いてしまっているのではないかとも考えられますし、胸中は複雑です。

その1で書きましたが、ある程度大枠的な基準を示し、これに合致していることを内閣が国会で説明し、各会派が意見を述べ、最終的に内閣が判断する、という民主的プロセスをより丁寧に踏むというところが穏当な着地点ではないかと思いますが、そこに国会の議決を行うべきか否かという論点が加わると新たな亀裂を生むことにもなりかねません。

なぜなら、議決や決議をとる、行うとなると、採決という行為を伴いますので、それが適当かどうかは躊躇があります。人が亡くなった事案に際し、反対意見を押しのけてまで実施すべきと院が決定したという外形になってしまうからです。

最終的には両院の合同会議のようなものを開き、各会派から意見を聞いて、その結果を内閣に伝え、内閣において適切に判断するというのが穏当な着地点になるのではないかと考えています。

国葬儀における法解釈と検証のあり方-その1
国葬議における法解釈と検証のあり方-その2

(そのうちその4を書くかもしれませんが、一旦了といたします)