学生健保
結核等で学費支弁が困難となり、休退学を余儀なくされる学生をこれ以上出さない。そんな思いで同志社大学学生健康保険・組合は、1955年10月1日、全国の私大で最初に設立された。
我が国に国民皆保険制度が整備される前のことである。
1997年、大学3年生のとき、私は当該学生健保組合の副理事長(理事長は大学側)と学生側の代表となる委員長を務めた。入学時にすべての学生から学生健保組合費(年間4,000円)を入学金と同時に納めていただき、医療費給付と予防給付等の各種事業を行っていた。
設立当時と社会の情勢が異なること、折からの低金利で財政状況が厳しくなっていたこと等もあり、大学主導で「学生健康保険・組合のあり方についての検討委員会」が1997年2月に設置され、1998年12月まで議論を行ったが、2000年3月、発展的解消の名のもとに同大学生健保は解散した。
私は、1997年は副理事長兼委員長として、翌年は理事として自身の大学卒業間際の1998年12月の最後までその議論にかかわったが、学生の代表としてつらい場面の連続だった。
出すべき結論を見定めたうえで検討会を設置し、データも資料も蓄積がある大学に比べると、社会人経験もない我々学生は学生なりに存続の道をなんとか残そうと最後まで訴えたが、結果は変えようもなかった。
たとえば、健保組合費の徴収方法ひとつとってみても、私が大学に入学した1995年までは、4年分一括徴収していたが、1996年から単年度徴収に切り替えており、解散に向けて着々と地ならしが進んでいたためだ。
ただ、1年で終わる予定だった議論を2年にわたって行い、当初は学生健保の意義(理念)が消滅したから解散となっていたものを、その意義(理念)を大学も認めたうえ、一部事業を大学が残余財産とともに引き継ぎ解散とはなった。
しかしながら、存続の道は絶たれ、何とも言えない徒労感は結果が出たあとも残り続けた。
なお、解散時の残余財産は2億数千万円あり、これを大学に寄付し、基金(学校法人会計における第3号基本金)とし、その果実を学生健保解散後に行う事業の費用の一部として他の目的には使用しないこと、基金を取り崩さないこととしていたのだが、これも時代の趨勢か。
2018年度末で引き継がれた事業は終了し、当該基金は大学の他の基金と統合されたことが、2019年に大学のサイトで告知された。
この間、大学を取り巻く環境も激変しており、致し方ない側面はあろうし、解散が決まったとき、いつかはこうなるんだろうと学生ながら予想した結果でもあり、残念ではあるものの驚きはない。
伝統や実績がいくらあろうとも、前例や先例がいくら積み重ねられていようとも、一旦それが解散されたり崩されたりすれば、それらを元に戻すことはできず、崩れたままになってしまうのだと思う。
大学卒業後の1999年9月、後輩からの依頼で解散にあたって寄稿した文章の最後にこう書いた。
「一旦、解散されてしまったものは二度と元に戻ることはない。他大学に及ぼすであろう影響の大きさを考えると、言葉もない。健康でありたい願いは、社会情勢にかかわらず普遍の願いだからである。何かの節目には必ず思い出すだろう。結果は出た。結果に負けない人間でありたいと思う。」
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