吉川さおり 参議院議員(全国比例)

活動記録

佐世保大空襲と通信 2015年06月26日

2015年6月26日

  • 慰霊碑・約2年前訪問

6月25日から戦後最大の95日間の延長国会に突入
しましたが、参議院では29日まで本会議も委員会も
開かれないことから、会議等に出席後、地方に出かけました。

九州は長崎でしたが、本当に多くの皆さまに励ましの
お声をいただいて、とても温かい気持ちになりました。
本当にありがとうございました。

長崎を尋ねたタイミングで、長崎新聞朝刊に
「佐世保大空襲の記憶」として、電話交換台と
命をともにされたNTTの先輩のことが紹介されていました。

昭和20年6月29日未明、佐世保大空襲がありました。

NTTの先輩は、空襲が開始されても、通信を守るため、
懸命に通信線をつなぎ続け、34名の先輩が電話交換台と
命をともにされてしまったこと、大空襲から1~2日後には
電話回線が復旧して仕事が再開されたこと、新たに持ち
込まれた電話交換台の上に骨つぼが並べられ、少しずつ
家族等に引き取られたことなどが書かれていました。

私は約2年前、佐世保大空襲で殉職した先輩の慰霊碑を
訪れています。慰霊碑に書かれたことが今も胸に残っています。

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昭和20年6月29日夜半の大空襲に於て
當電話局舎は火の海の中に孤立の状態
となり、猛威をふるう火勢は遂に局舎の防火
鐵扉を焦がし、火焔は屋内に充満して焦熱
地獄の拑堝と化した

この時左の34名は或は連絡報告し乍ら
電話機を抱き、或はブレストを胸にかけ、
プラグを握りしめ、通信の使命を守り其の
職に殉じたその姿は神々しき通信人の
権化であり、鬼神を哭いしむるものであった

茲に當時を偲び尊き殉職者の霊を慰め
事業の鑑として部内従業員の金を以て
この塔を建立する
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先日の沖縄での対馬丸の体験談とあわせて、戦争だけは
絶対に二度としてはならない、そう強く思う1週間となりました。

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