吉川さおり 参議院議員(全国比例)

活動記録

東日本大震災から12年

2023年3月11日

東日本大震災から12年を迎えました。

お亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表し、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

消防防災行政に関しては、1期目のときから政策の柱に据え、一貫して取り組んでまいりましたが、改めて国民の生命・身体・財産を守る消防防災行政の推進に取り組む決意を新たにしています。

2年前にとったメモ(下記)を見返しながら、災害対策特別委員会で取り上げた課題でもあると振り返っています。

避難行動に関連して「正常性バイアス」を考慮する必要性について、国会質疑では私が初めて取り上げた(平成23年11月4日)ことですし、災害時にその拠点となる庁舎が浸水区域にあるか否かの実態把握もされていなかったことも委員会質疑で明らかにし、調査を速やかに行う旨答弁を得て、内閣府による実態把握が行われました。

いまは常任委員長の任にあるため、原則として委員会質疑には立てませんが、これまで視察した各災害現場の課題や自身のメモ等を改めて振り返っておくことで、今後の質疑等に活かしたいと思います。

東日本大震災から12年。この間、参議院に議席を預け続けていただいていることの責任の重さを感じています。

〔メモ〕
2021年3月放送/NHKスペシャル「津波避難 何が生死を分けたのか」

〇大津波警報をラジオで耳にした。ただ堤防があるため、津波は来ないと考えていたと当時運転中だった方の証言。最初に目撃したのは勢いのない水の流れ。その直後、目に飛び込んできたのは2階をこえる大きな波。津波を背にしながら車を走らせ間一髪助かる。こんな思いを誰にもしてほしくないとの証言。

〇逃げ遅れた方が多かったのは、この方のように外出先のケース。家族が無事かどうか、自宅が無事かどうか、気になったのが原因。ほかは、自宅を兼ねた店舗にいた方のリスクが高いことが分かった。散乱した商品の片づけに追われるなどして逃げ遅れたケースなど、片付けやお客様の安全確保など、より逃げ遅れてしまう要因に。

〇震災直後からの聞き取り調査によって、約2,400人の避難行動の結果について明らかになったこと。閖上地区の被災状況を被災マップに表現し、全員助かった世帯、犠牲が出た世帯、安否不明・公共施設などに分類。

〇当時、防災行政無線が鳴らず、避難の判断の遅れになってしまったという指摘。

〇犠牲になった方の衣類からは通帳が見つかったことから、逃げる気持ちはあったことが分かる。「逃げよう」という意思決定ができない中で、その意思決定が広がってしまうことが課題。

〇では、避難した人は何をきっかけに避難したのか。マップの中で全員助かった世帯がまとまっていることから、具体的な避難のきっかけを探る。ラジオをかけたところ、大津波警報の報。直感で家の外に飛び出したところ、大津波警報を知らない近所の人は外で立ち話。

〇とっさに「できるだけ遠くに逃げろ」と危機感を伝えた。それが周りの危機感に。危機に気づくことができた住民が1人いるだけで40名以上の生命が助かっている。

〇「率先避難者」の存在が避難行動のきっかけにつながる。閖上地区2,400人調査で避難した1,182人のうち、977人が周囲からの影響で避難したことが判明。公民館長からの呼びかけでより大きな避難行動につながった例も。

〇もう1つの避難の課題として、避難場所そのものの問題もある。避難場所の選定に問題はなかったのか。国や過去のシミュレーションを基に決定されていた場所。安全だと思っていた場所で50人流され、助かったのは6人だけだった。

〇次に、石巻1,200人調査の結果。避難の後押しの必要性。では、何が行動のきっかけとなったのか。指定避難所の小学校からより高い日和山に動いた集団の存在があった。校長の誘導で生徒はより高いところへ。その学校は、「災害に絶対の安全はない」との考えで普段から日和山への避難訓練を行っていたのが幸いした。

〇その生徒らが「率先避難者」としての役割も果たすこととなった。知り合いが「小学生は皆山に登った。山へ避難を」との呼びかけで避難行動に。避難の連鎖で、指定避難所からさらに高い山に避難が続いた。分かっているだけで300人以上が避難した。学校に留まった教員から学校と関係の薄い住民も多く存在。

〇避難や防災について、絶対安全はない。避難行動のあり方。避難を呼びかけることの大切さ。避難の連鎖を、「逃げよう」とみんなに言える人に。生命・身体・財産を守る取り組みを。

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