国葬儀における法解釈と検証のあり方-その2
国民に義務を課したり権利を制限したりするときには、法律の根拠が必要であるというのが「侵害留保説」です。一般的な行政運営はこの説によっていると思われます。
これに対し、すべての行政作用は法律の根拠を必要とするのが「完全全部留保説」です。しかし、この説よれば、法律の根拠がない場合には一切の行政活動ができなくなってしまうため、支持されていません。
ほかに、権力的な手法による場合には法律の根拠が必要であるとする「権力留保説」、侵害行政だけでなく給付行政についても法律の根拠が必要であるとする「社会留保説」、侵害か給付か、権力か非権力かにかかわらず、重要な事項については法律の根拠が必要であるとする「重要事項留保説」などがあります。
先般の国葬儀については、国民に義務を課したり権利を制限したりするものではなければ法律上の根拠は不要との考え方である「侵害留保説」によっていると考えられます。
ですので、行政権の判断で行い得るという解釈は、法解釈論的にあり得るのかもしれないと発言しました。
ただ、9月8日の議院運営委員会でも指摘しましたが、法的に問題がないことと、政治・社会的に問題がないことは別ですし、法律上の位置付けを考える必要性については明確に言及しました。
具体的にいくつか説明したいと思います。
まず、質疑でも指摘しましたが、今回、国論を二分する形となった原因のひとつに、法的根拠がないこと、根拠は内閣府設置法とする閣議決定だけで国葬儀を決めたことがあります。
どの行政組織にどの行政事務を所管させるかを規定する規範を「組織規範」と呼ぶとすると、国葬儀については内閣府設置法が「組織規範」にあたります。
また、「組織規範」による所掌とされた行政事務を執行する際によりどころとなるものを「根拠規範」、所掌とされた行政事務の執行を適正ならしめるものを「規制規範」と呼ぶとすると、国葬儀においては「組織規範」しかなく、「根拠規範」も「規制規範」もありません。
先ほども書きましたが、今回の問題については、国民の権利義務や受益に直接作用する行政活動ではないことから「根拠規範」はなくても良いかもしれません。
一方、国民の間でも見解が大きく分かれる事案であり、そのような事柄に公金を支出するのは適当なのかなどの理由から「規制規範」を設ける必要があるという議論はあっても良いと考えています。
たとえば、どのような場合に国葬儀にするのか、どのような手続を経て執り行うこととするのかといったことであり、最終的には内閣の判断によるとしても、法律等により枠組みを定めるべきという議論はあり得るのではないでしょうか。
(その3に続きます)
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